だいたいおんなじ毎日

そいでまあまあそれなりOK

2016年になりました。

あけましておめでとうございます。
やっと辛かった2015年が終わり、2016年になりました。
本当に本当に、辛かった2015年。


実は、ブログを書くのを辞めていた期間が特に辛く、この期間に仕事を退職してしまいました。
無理矢理、強行突破と言った方がいいのかもしれません。
退職の申し出をしてから退職するまで4日でした、普通は有り得ないですよね。

好きで始めた仕事だけど、どんどん嫌いになった仕事。仕事内容、雰囲気、全部好きだった。でも、それも含め全部苦痛になった。しんどかった。1年間。

思い出したくないので詳しくは書きません。
とにかく、ようやく2016年になり、今年は勉強に集中。
ただそれだけ。

東京から、静岡に帰ります。

母親の影響シリーズ「水曜どうでしょう」

さて。私の母親は偉大だ。
急にいきなり唐突に何なんだよという話ですが、母親は自分の好みを娘にほぼほぼコピーしました。その娘が私です。
下にもう一人妹がいますが、そっちは至って普通。でもB'zは私同様嫌でも覚えています。よくよく考えると凄いな。

母親の影響は、音楽だけではありません。
テレビ番組も伝染しました。
それが、

水曜どうでしょう

です。
1996年から2002年の間、北海道テレビ通称HTBで放送されたローカル番組です。
それがどんどん人気になり、今では全国どころか海外でも再放送される人気番組になりました。
出演者は俳優の大泉洋と、大泉洋が所属するタレント事務所会長の鈴井貴之。そして、ディレクターとカメラマンの2人。計4人で旅をする番組です。

はい。この説明はもう一般常識でいいのではないでしょうかね。唯一引っかかるのは、大泉さんの俳優というところ(笑)俳優の後に(笑)をつけたいくらい。いや、素敵な演技するのよ、でも、それ以上に見てきたものがあるからね、うん。

さて、これのはまった経緯です。

私は当時小6でしたので、2004年でした。既に放送は終了していましたが、ジャングルリベンジが放送されたくらいの年です。
母親がよく一人で録画した何かを見ているなぁとは思っていたのですが、たまたまその日は2人でその番組を見始めたのです。

テレビに映ってる人は1人。車の中、変な格好をしてる。で、その人に話しかける人が1人と、脇からもう1人声がする。でも、なぜこの2人はカメラに入らないのだろうと疑問に思う。
車内トークは続くが、外はかなり田舎。どこここ。なにこれ。え、この日の朝仲間がどっかに帰ったの?仲間がこの人以外にもう2人いることが判明。
あ、お寺だ。お寺巡ってる。あれ、なにこれ、寺の名前いうだけ?あ、後ろから誰か走ってきた。え、誰これ、1人増えた。顔が、で、でかい?

と、まあ、どうでしょう軍団の方々ならここまで読まなくてもわかると思いますが、私が一番最初に見たのは、

四国八十八箇所3

でした。四国を見るにしても、3から見ても何もわかりませんよね。チンプンカンプンでした。学んだことといえば、大泉洋は面白いし、ディレクターも面白い。そして、隣にいる森崎リーダーという方は、この大泉洋の所属する劇団のリーダーということでした。
どうでしょうを見て、ナックスを学ぶという。しかもリーダーをいち早く見てしまうという奇跡。ヤスケンを見ていないのにね。

そのまま私はわけがわかないまま次週からもどうでしょうを見ることになりました。
次に始まるのは、

絵はがき2

でした。
今となっては、大泉さんと同じ反応で「なんだぁ、絵はがきかぁ」って感じなんですが、当時初めて見た私は腹抱えて笑ったのを覚えています。
だって、もう一人の人、ミラクルなんだもの。そこで初めて私はミスターを目にするのですが、この方のダメ人間ぶりに色んな意味で惚れました。時計台ひくんだもん。

絵はがきが終わる頃にはもう食い入るようにどうでしょうを見ていました。まあ、どのシリーズから見てもハマっていたとは思います。

極めつけが次の

釣りバカ屋久島対決

でした。これでノックアウトです。はいハマったー。完璧いったー。
ここで初のヤスケンです。と、いうより、何このぬいぐるみ!という反応の方が先でしたが、私の場合はそのぬいぐるみが初見で既に2ついたので、onちゃんもnoちゃんも同等だと思っていました。
そして、中の人もヤスケン=琢ちゃんで同じくらい出てくるんだと思っていました。

ハマった経緯です。この3シリーズを見ただけで、どうでしょうでのナックスをほぼほぼ見れたと言っていいでしょう。レアです。


あれから11年。今年、初めてナックスの舞台を見に行き、夢が叶いました。やっとお目にかかれたと。
うちの母は、銀のエンゼルの試写会かなにかに行ったので、ミスターと大泉さんダブルで見ることが出来ているのですが、私も次はなにかCUEのイベントに行きたいですね。

ああ、本当にハマってよかった。

ちなみに、11年見てきて、今現在好きなシリーズは

対決列島
四国八十八箇所シリーズ
シェフ大泉 車内でクリスマスパーティ
シェフ大泉 夏野菜スペシャ
30時間テレビの裏側全部見せます
釣りバカ屋久島24時間耐久魚取り

です。是非ご覧ください

田舎はどこからが田舎なのか

こんばんは。
最初の更新で、ブログは3日続かないと言っていましたが、なんとか続いております。
私の名前はかおすです。よろしくお願いします(3日目にして名前を記載していないことに気がつきました。)

さて、地方出身者の私ですが、東京に住み始めて早4年。早かったです。
専門学生として2年生活し、1年半フリーター、半年程社員として働き、今現在フリーターに戻っています。最初のフリーターと違うところといえば、また学校に通っているという点ですね。

さて(2回目)、地方出身だからこそ東京の生活で戸惑う事が沢山あります。その中でも今回は、東京出身で、東京都以外の土地に住んだことのない、親戚も東京以外にいないという方々に問いたい。

あなた方が思う田舎ってどんなのですか?


本当に、失礼しちゃう。と毎回思うんです。一部の方々に対して。
微笑ましいんですけどね。

私は東海地方出身なのですが、生まれ育った地は、今思えば田舎でした。
当時は田舎と言われても、そんなんじゃないよ!!と両親に反抗していましたが、あれは田舎です。だって、半島だったんですもの(さてどこでしょう)
実家は、東北の大震災の年に津波が危険と考え、少し離れた場所のマンションに引越しをしました。今年の春、祖母も亡くなったので、その土地に住む身内はほぼいなくなったのですが、まあ田舎でした。

最寄りの電車の駅まで自転車で30分くらい。
最寄りのJRの駅まで自転車で40分くらい。
最寄りのコンビニまで自転車で10分くらい。
ちなみに高校はチャリ通(ダッシュで25分)

その土地には高校卒業まで住んでいたので、移動手段はほぼ自転車でした。
バスはありましたが、本数は少なかったですし、途中から一部廃線になったりと大変でした。

田舎なのは半島だからっていうのが大きな理由だと思いますが、その半島内にコンビニは4店、大きい薬局2店、大きいスーパー1店(私の記憶が正しければ。)
幼稚園、保育園が2園?←曖昧
小学校は2校、中学校3校(私立含)、高校2校、大学1校です。

半島を抜けたすぐのところにはショッピングモールがあります。

半島の面積は339.8ha(で、どれくらいなのかわかりません、馬鹿なのです)
半島事情です。

ここ数年でガラッと変わったんです。世界の遺産になったから(はい、どこかばれた)。

話を戻しますが、半島に住んでいましたが、県庁所在地がある中心部まで電車ですぐでしたし、ショッピングモールや駅ビルも多く、田舎ですがそこまでではないのではないかと思っています、今でも。

東京都出身でずっと東京住まいの方によく言われるのは、

人「出身はどこなんですか?」
私「〇〇出身です」
人「へー!この冬は田舎にはかえらないんですか?」

はいここ!
出身地しか言ってないのに田舎と言われる!!

私「仕事が忙しくてなかなか帰れなくて〜」
人「あら残念...。〇〇って方言ありますよね!!△△とか、◇◇とか」
私「はい、よく言ってましたよー」
人「(爆笑)」

はいここ!
なんで方言について触れる!!
そして爆笑!!


田舎って、周りが田んぼだったり山を超えて学校に行ったり、隣の家まで徒歩数分とか、どういう土地を想像しているのかが全くわかりません。

馬鹿にしている訳では無いでしょうし、本当に行ったことがないのだから当然なんですが、田舎とは一体どのレベルの田舎を想像しているのか。是非知りたいです。


ちなみに、上の会話は昨日の美容院でのやり取りでした。以上

上京した人間の美容院問題

今日はプライベートの話。


私は地方出身で、高校卒業と共に上京しました。東北の大震災が起きた月でした。

とりあえず引越しをし、必要な物(洗剤、風呂用品、食器等)は東京で買い揃えるスタンスでいった為、一人暮らし当日にお茶碗が無くて炊飯ジャーのままいったのが懐かしい...

そんなこんなだった一人暮らしも、なんとか慣れたのは夏頃。急に現れた問題がひとつ。

美容院どこ行こう

困りましたね。美容院問題。地元では、幼少期から母親の知り合いの美容院に行っていた為、「美容院を探す」という作業をした事が無かった。
とりあえず探すのが面倒だったので、最寄り駅の側にあるなんかちょっと良さそうな美容院を予約して初入店。

面倒がってはいけないね。

うん。凄い学びました。雰囲気よかったし、担当のお姉さんもいい人だったよ。ただ、高い割に結構普通だった、後はそのお姉さんが結構毒舌だった。ただただ怖かった、東京って怖いって思った。
それ以降その美容院は行っていません。

その経験があり、暫く東京で美容院に行けなくなりました。美容院恐怖症。地元に帰った時に、いつも行っていた美容院に行ってました。地元に帰る理由が髪切りに行くっていう。それが大半を占めてました。

それから結構月日が経ち、流石に東京で美容院探そうと思いました。
でも東京って高いし怖いし...という悪夢再び。蘇りましたが、頼ったのが

ホットペッパービューティー!!!

美容院情報いっぱい出てくるし、口コミあるから美容院の雰囲気がわかるし、なんといってもクーポン付いてるし!!!クーポン最高!!!

沢山ある美容院の中で探し当てた所は、家からバス+徒歩で15分の所。
アンティーク調の家具を基調とした内装で凄い惹き付けられました。一応インテリアの勉強してたので...w
しかも、安い。カット+カラーで4,300円。安い。私の中では安かった。

初めて行く美容院で1番緊張するのは、初対面のスタッフの方と上手く話せるか、という点。人見知りしないので、話す事は簡単なんですが、気まずい雰囲気は大嫌い。だから、話せても気まずくならないかが不安でしたが、そんな不安は行ってすぐ吹き飛びました。あああ、よかった。
話しかけてくれるし、質問も答えてくれるし、手入れの方法は凄いわかりやすいし、無理に会話をしてくることもなく、ゆっくり雑誌も読める。有難い。今まで散々だった様な書き方だなこれ。

通い始めて2年、毎回指名はせずにきて、1回改装が入ってスタッフ総入れ替えもありましたが、どの人に当たっても大丈夫だなと感じます。
口コミに結構酷い内容があって、少し離れようかと思う時期もあったけど、今日半年ぶりに行ってきて、やっぱり大丈夫だと思いました。お前は何目線だよって感じですねすみません。

そんな、地方出身者の美容院問題でした。

地方から上京してきた方は是非、ホットペッパービューティーを!!!

B'zを聞いて育った23年間

さて、何度も言うように私の音楽の好みは母親の影響が大きく関係している。
幼稚園年少から中学3年までは、土曜日は両親が共働きで家にいなかった為、母方の祖父母の家に預けられ、夕方迎えに来てもらうという生活を送っていた。
習い事はやっていたが土曜日は何も無かったし、中学時代は帰宅部の様な美術部だった為、妹と共に祖父母の家で過ごしていた。
家から祖父母宅までの約20分間、車内で流れている音楽はほぼB'z。12年間ずっと。

そりゃあ覚えるわ。

その間にリリースされたシングル26枚、アルバム8枚(多分。違っていたらコメントください)。
母親が自身の好きな曲を入れて作成したMDを特に聞いていた為、未だにその曲順が言える。F・E・A・Rから始まり、さまよえる蒼い弾丸で終わるのだ。

ここまで聞き込むと、流石に覚える。だからこそ、B'z好きなんですって言われると「どれくらい?」と聞きたくなってしまう。やなヤツですな。
そして、2009年のドラマ、ブザービート~崖っぷちのヒーロー~の主題歌である、イチブトゼンブ。ドラマの影響でこの曲を好きになり、この曲だけが好きなのにも関わらず「B'z好き」と言ってくる方々に、内心イラッとしていた。ほんとやなヤツ。すいません。
(ちなみに、海猿のOCEANや、名探偵コナンの主題歌だったギリギリchopや衝動は、まだよかった。特にコナンは。)

うちの母親の車内で流れる音楽は、95%がB'z。あとの5%は、ユニコーンイエモン布袋寅泰
幼稚園の頃は、浜崎あゆみとMAXのリミックスがよく流れていた。これも母親が作ったMDだった。

だからこそ、悩みもある。

同年代の友人と音楽の話ができない。

今はできる。ただ、小学生~中学生は、あまりできなかった。B'zを聞く友人が極わずかだったし、アイドルの話も意外とできなかった。
唯一当時友人達と話ができるくらい好きだったのは、オレンジレンジ。流行ったんです。今でも好きです。

でも、親友と当時B'zの話ができたことと、当時好きだった男の子(後に彼氏になる)の家にB'zのアルバムがあって話ができたことは、良かった点だと今でも思う。ありがとう。

当時、自分自身で音楽の好みを広げられる年齢では無かったと思っている為、こういうことは仕方の無いことだと思う。それに、B'zのライブに初めて行った時は、本当に好きでよかったと心から思った(B'z LIVE-GYM 2010 "Ain't No Magic" at TOKYO DOME)


そんなこんなで、私がB'zと歩んできた23年間です。

今、両親に言われることといえば
「なぜhideが好きなんだ」だが、
この話はまた今度。

X JAPANですね

今週のお題「今年見に行ってよかったもの」

最近の話になりますが、

X JAPAN日本ツアー

です。

12月3日横浜アリーナ
横浜3日目でした。

Xのライブは2回目、Xを見るのは3回目。
今回のライブが1番盛り上がれたんじゃないかと思います。
慣れです、多分。

昨年の横アリ1日目が初Xでしたが、あの時は緊張と感動とが一気にこみ上げてきて、あまり覚えてないのが現状。とにかく暴れて泣いてを繰り返して風邪をひきました。

2回目は今年の6月に行われたLUNATIC FEST。フェスだったので、もみくちゃです。
Xの記憶よりも、電話ズとベガスとSIAM SHADEの方が鮮明です。
ただ、Xを知らない人達に、あのすみれのいちゃつきぶりを見せつけることが出来て、なんだかそれだけで満足していたような。

そして、3回目が今回のライブでした。
1番いいコンディションで迎えることが出来ました。
まあ、その日は対人関係でイラついていたんですけど、ライブで発散できました。

YOSHIKIとToshlのすみれトークは健在でしたし、PATAちゃんは絶好調でしたし、杉様はお美しく。
そして何よりも、HEATHから目が離せなくなりました。
格好いいのは当たり前なんですよ。なんででしょう。

楽しかったという反面、翌日の仕事で現実に戻された感じが物凄く辛かったですね。
まだ横アリにいさせてくれ。と、心から思いました。

YOSHIKI曰く、来年アルバムが出るそうです。YOSHIKI曰くですけど。

私とアイドルと音楽と。②

高校の成績で、かなり悪かったのが現代文と英語。
日本語を読み取る力がないのではなく、下手なんだなと確信しましたし、そんなんで英語ができるわけないと思いました。

久々に自分で自分の思いを文章にして、この自分の問題点を再確認しました。とほほ。

さて、前回の続きです。今回で終了させます。

14歳~18歳(2006年~2010年)

KATーTUNがデビューした直後は、周りがKATーTUNについてキャーキャー騒いでるのが、鬱陶しくなった頃でした。そして、殆どの人に言われた一言が
「上田のどこがいいの?」
でした。親には未だに言われます。しかし、母親をジャニーズにハメた私は勝ち組だと勝手に思っています。父も何となく把握してるあたり有難いです。
そんなこんなで、KATーTUNネタをしっかり熱く話せる相手が周りにいなく(私をKATーTUNにハメた友人は、別の中学のため)、物足りなさを感じた時に出会ったのが、大倉忠義でした。
2006から2007のカウコンで、何気なく見ていた所で、急に視界に入った大倉忠義。でかい、なんだこのでかい、けどイケメンなのは!!!
と、一気に持ってかれました。その当時に入ったyou&jの登録の際に、上田竜也で登録したのに光の速さで大倉忠義に変えた思い出。懐かしい。

初めて行ったジャニーズのコンサートは、関ジャニ∞、2008年。tornが懐かしい。地方住みでお金もない学生だった為、片手で数えられる程しか行けなかったけど、楽しかったなぁと思います。
しかし、今思うとKAT-TUNは一度も行ったことないんだな。ゲストでKAT-TUNが来てても、やっぱり上田には会えてません。切ない。

高校生になって、関ジャニ∞を追うのと並行してハマったのが、ミュージカルテニスの王子様
元々アニメが好き、テニプリが1番だったからか、即はまりました。
好きなのはアニメと変わらず氷帝。勿論初代。青柳塁斗。それ以外は認めない。
その繋がりで、ミュキャスが多く出ていた戦国鍋TVにもはまり、ライブによくいってました。

19歳~現在(2011年~現在)

高校卒業後、上京しました。上京すればいつでもジャニーズのコンサートに行ける、と思ってましたが大間違い。
まず、そんな余裕なんてなかった。お金にも、時間にも。
そして、テニミュにはまってしまったからか、ジャニーズにそこまで熱を注げなくなった。
私のラストジャニーズコンサートは、2010年の8UPPERS。あの頃が本当に懐かしく思います。あんなにお熱だったのに、冷めるのは一瞬だった(しかしその数年後再びその熱戻るんですよ)

ざっと書いていて、やはり母親の影響が強い。
B'z、MAX、ayu。
イエモンユニコーン、布袋さん。

仕事でよく音楽の話をしますが、大抵年齢を疑われます。
同い年の友達とカラオケに行って、歌える曲が本当にないです。困るんです。


上京してもうひとつ変わったことといえば、自分で音楽を探すようになったこと。
今までは母親の影響で出来上がっていた私の中の音楽でした。
しかし、その母親がいない土地で、自分自身で探して作り上げたものは、全然違った。新たな発見。

上京してすぐはまったのが、X JAPAN
hideってそんなに凄かったの?って調べ始めたことがきっかけ。

次にJanne Da Arc
活動中はあまり興味が無かったものの、初期のyasuの歌声が好きで、聞くようになった。
私の朝のアラームは、RED ZONE。

そして、聖飢魔II
デーモン閣下は、ただのタレントだと思ってた自分が恐ろしいくらい。それくらい、何も知らなかった。
一瞬ドールにはまった時期があって、聖飢魔IIもドールを出していて、なにこの白塗りちゃんたちは!!なに、聖飢魔II聖飢魔IIってなんだっけ?で、調べ始めたのがきっかけです。



Xの話はまだ出来るんだけど、聖飢魔IIの話はなかなかできる人がいなくて寂しい今日この頃。
今、聖飢魔IIiPhoneケースを使用しているわけですが、これを職場のロッカーで置き忘れ、保安に届けられ、非常に恥ずかしい思いをしました。
以上です。