だいたいおんなじ毎日

そいでまあまあそれなりOK

私とアイドルと音楽と。②

高校の成績で、かなり悪かったのが現代文と英語。
日本語を読み取る力がないのではなく、下手なんだなと確信しましたし、そんなんで英語ができるわけないと思いました。

久々に自分で自分の思いを文章にして、この自分の問題点を再確認しました。とほほ。

さて、前回の続きです。今回で終了させます。

14歳~18歳(2006年~2010年)

KATーTUNがデビューした直後は、周りがKATーTUNについてキャーキャー騒いでるのが、鬱陶しくなった頃でした。そして、殆どの人に言われた一言が
「上田のどこがいいの?」
でした。親には未だに言われます。しかし、母親をジャニーズにハメた私は勝ち組だと勝手に思っています。父も何となく把握してるあたり有難いです。
そんなこんなで、KATーTUNネタをしっかり熱く話せる相手が周りにいなく(私をKATーTUNにハメた友人は、別の中学のため)、物足りなさを感じた時に出会ったのが、大倉忠義でした。
2006から2007のカウコンで、何気なく見ていた所で、急に視界に入った大倉忠義。でかい、なんだこのでかい、けどイケメンなのは!!!
と、一気に持ってかれました。その当時に入ったyou&jの登録の際に、上田竜也で登録したのに光の速さで大倉忠義に変えた思い出。懐かしい。

初めて行ったジャニーズのコンサートは、関ジャニ∞、2008年。tornが懐かしい。地方住みでお金もない学生だった為、片手で数えられる程しか行けなかったけど、楽しかったなぁと思います。
しかし、今思うとKAT-TUNは一度も行ったことないんだな。ゲストでKAT-TUNが来てても、やっぱり上田には会えてません。切ない。

高校生になって、関ジャニ∞を追うのと並行してハマったのが、ミュージカルテニスの王子様
元々アニメが好き、テニプリが1番だったからか、即はまりました。
好きなのはアニメと変わらず氷帝。勿論初代。青柳塁斗。それ以外は認めない。
その繋がりで、ミュキャスが多く出ていた戦国鍋TVにもはまり、ライブによくいってました。

19歳~現在(2011年~現在)

高校卒業後、上京しました。上京すればいつでもジャニーズのコンサートに行ける、と思ってましたが大間違い。
まず、そんな余裕なんてなかった。お金にも、時間にも。
そして、テニミュにはまってしまったからか、ジャニーズにそこまで熱を注げなくなった。
私のラストジャニーズコンサートは、2010年の8UPPERS。あの頃が本当に懐かしく思います。あんなにお熱だったのに、冷めるのは一瞬だった(しかしその数年後再びその熱戻るんですよ)

ざっと書いていて、やはり母親の影響が強い。
B'z、MAX、ayu。
イエモンユニコーン、布袋さん。

仕事でよく音楽の話をしますが、大抵年齢を疑われます。
同い年の友達とカラオケに行って、歌える曲が本当にないです。困るんです。


上京してもうひとつ変わったことといえば、自分で音楽を探すようになったこと。
今までは母親の影響で出来上がっていた私の中の音楽でした。
しかし、その母親がいない土地で、自分自身で探して作り上げたものは、全然違った。新たな発見。

上京してすぐはまったのが、X JAPAN
hideってそんなに凄かったの?って調べ始めたことがきっかけ。

次にJanne Da Arc
活動中はあまり興味が無かったものの、初期のyasuの歌声が好きで、聞くようになった。
私の朝のアラームは、RED ZONE。

そして、聖飢魔II
デーモン閣下は、ただのタレントだと思ってた自分が恐ろしいくらい。それくらい、何も知らなかった。
一瞬ドールにはまった時期があって、聖飢魔IIもドールを出していて、なにこの白塗りちゃんたちは!!なに、聖飢魔II聖飢魔IIってなんだっけ?で、調べ始めたのがきっかけです。



Xの話はまだ出来るんだけど、聖飢魔IIの話はなかなかできる人がいなくて寂しい今日この頃。
今、聖飢魔IIiPhoneケースを使用しているわけですが、これを職場のロッカーで置き忘れ、保安に届けられ、非常に恥ずかしい思いをしました。
以上です。